「最近の曲はギターソロがなくて物足りない」「ギターソロは時代遅れだからスキップする」…このような声を耳にしたことはありませんか。
音楽の楽しみ方が多様化する現代において、「ギターソロはいらない」という意見が大きな議論を呼んでいます。
この記事では、なぜギターソロ不要論が広まったのか、その歴史的背景から現代のJ-POPシーンにおける実際の状況、さらにはギタリストたちがこの時代をどう生き抜くべきかまで、網羅的に掘り下げて解説します。
この論争の全体像を理解し、あなた自身の音楽の聴き方をより深く見つめ直すきっかけを提供します。
【結論】「ギターソロはいらない」は本当?論争の要点を3分で解説
結論から言うと、「ギターソロはいらない」という意見は一部の事実を捉えていますが、全てに当てはまるわけではありません。
この論争は、単なる個人の好みの問題ではなく、音楽の聴き方、楽曲のトレンド、そしてギターという楽器の役割そのものが変化している現代的な現象と言えます。
発端はNYタイムズ記事?「若者がギターソロをスキップする」問題とは
この論争が日本で大きく注目されるきっかけとなったのは、2022年に米紙ニューヨーク・タイムズが報じた内容でした。
グラミー賞のロック部門にノミネートされた楽曲のほとんどにギターソロがなかったという指摘が、日本のSNSで「若者はギターソロをスキップする」という形で広まり、一大論争へと発展したのです。
実際には元の記事はギターソロの進化や新たな可能性にも触れていましたが、日本では「不要論」の側面が強調されてしまいました。
「不要論」は単なる好みの問題?それとも時代の必然?
ギターソロが不要だという意見は、単に「好きか嫌いか」という個人の趣味嗜好の問題だけではありません。
音楽ストリーミングサービス(サブスク)の普及により、イントロや間奏を飛ばして聴くスタイルが一般化したことや、楽曲制作のトレンドが変化したことなど、時代の流れが大きく影響しています。
そのため、ギターソロの存在意義が問われるのは、ある意味で時代の必然とも考えられます。
【総括】ギターソロの価値は「必要か不要か」ではなく「魅力的かどうか」
最終的に、ギターソロの価値は「必要か、不要か」という二元論で語れるものではありません。
楽曲全体の流れの中で必然性があり、リスナーの心を揺さぶる魅力的なソロであれば、スキップされることなく聴かれるでしょう。
逆に、ただの見せびらかしや形式的な間奏埋めであれば、不要だと感じられても仕方ありません。
結局のところ、ギターソロがその楽曲にとって本当に価値あるものとして機能しているかどうかが、最も重要なのです。
なぜ「ギターソロ不要論」が叫ばれるのか?その5つの理由

ギターソロが不要だとされる背景には、現代の音楽文化を象徴するいくつかの理由が存在します。
ここでは、その具体的な5つの理由を掘り下げていきます。
理由1:サブスク時代の「タイパ」重視の音楽の聴き方
現代の音楽鑑賞の主流であるサブスクリプションサービスでは、膨大な楽曲に手軽にアクセスできます。
これにより、リスナーは次々と曲を再生し、気に入らなければすぐにスキップする聴き方が一般的になりました。
時間を効率的に使いたい「タイムパフォーマンス(タイパ)」を重視する傾向から、歌のない間奏部分、特に長いギターソロは飛ばされやすくなっているのです。
理由2:イントロや間奏が短い楽曲構成のトレンド化
リスナーが曲をスキップしやすくなった環境は、作り手側にも影響を与えています。
最初の数秒でリスナーを引きつけるため、イントロを極端に短くしたり、すぐに歌が始まる楽曲が増えました。
同様に、間奏も短くなる傾向にあり、ギターソロが活躍するセクション自体が楽曲構成から減っていることも、不要論の一因となっています。
理由3:自己満足でマッチョ?ギターヒーローへの価値観の変化
かつてギターヒーローは多くの若者の憧れでしたが、そのイメージも変化しています。
一部のテクニカルなギターソロは「自己陶酔的」「マッチョイズムの象徴」と見なされることがあり、現代の価値観とは合わないと感じる人もいます。
協調性や楽曲全体への貢献が重視される中で、一人のギタリストが突出するスタイルが敬遠される傾向も見られます。
理由4:ロックの特権性が失われ、ギターの役割が変わった
1960年代から2000年代初頭まで、音楽シーンの中心はロックでした。
その中でエレキギターは主役であり、ギターソロは楽曲の華でした。
しかし、ヒップホップやEDMなど多様なジャンルが台頭した現代において、ロックは数あるジャンルの一つとなり、ギターの特権的な地位は失われました。
その結果、ギターはメロディを歌う楽器から、リズムを刻む役割へと変化しつつあります。
理由5:DTMの普及による楽曲制作スタイルの変化
パソコン上で音楽を制作するDTM(デスクトップミュージック)の普及も、ギターソロの減少に影響しています。
今や誰もが手軽に楽曲を制作できる時代になり、必ずしもギターという楽器に固執する必要がなくなりました。
シンセサイザーやサンプリング音源で間奏を作ることも一般的になり、ギターソロが選択肢の一つに過ぎなくなったのです。
「ギターソロ不要論」に対する様々な意見【賛成・反対・中立】

「ギターソロはいらない」というテーマは、立場によって意見が大きく分かれます。
ここでは、賛成派、反対派、そして当事者であるギタリストや音楽ファンのリアルな声を紹介します。
【いらない派の意見】楽曲のテンポを削ぐ、伴奏で貢献すべき
ギターソロを不要とする人々は、ソロが楽曲の流れやテンポを中断させると主張します。
彼らにとって、ギターソロは歌の合間の「つなぎ」であり、それならば無くして曲をコンパクトにするか、ギター以外の方法でアンサンブルに貢献すべきだと考えています。
ギタリストのアイデンティティをソロに求めるのではなく、楽曲全体を支える優れた伴奏で個性を出すべきだ、という意見です。
【いる派の意見】曲のフックになる、感情表現のピークになる
一方、ギターソロは必要だと考える人々は、ソロが楽曲における感情的な頂点を作り出すと主張します。
言葉のないギターの音色だからこそ表現できる切なさや高揚感があり、それはボーカルだけでは到達できない領域だと考えています。
優れたギターソロは、リスナーの心を鷲掴みにする「フック」となり、楽曲に深い印象とドラマ性を与える不可欠な要素なのです。
【ギタリストの意見】「もっといいソロを弾く」はズレてる?時代の変化を受け入れるべき
当事者であるギタリストの間でも意見は分かれます。
「不要だと言われるなら、もっと良いソロを弾くだけだ」という精神論を掲げるギタリストもいます。
しかし、プロのギター講師である八幡謙介氏などは、この考えを「問題をはき違えている」と指摘します。
不要論の本質はソロの質の良し悪しではなく、楽曲におけるセクションそのものの必要性にあるため、時代の変化を受け入れ、伴奏など他の部分で価値を示すべきだという現実的な意見も根強くあります。
【音楽ファンの意見】なんJなどネットでのリアルな声まとめ
インターネット上の掲示板などでは、音楽ファンによる率直な意見が交わされています。
「好きな曲のソロは聴くけど、興味ない曲は飛ばす」「曲による」「最近のバンドはソロよりリフがかっこいい」など、一概には言えない多様な意見が見られます。
これは、多くのリスナーが「ソロの有無」で音楽を判断しているのではなく、単純にその曲やフレーズが好きかどうかで聴くか聴かないかを決めている実態を反映していると言えるでしょう。
実際、最近の曲にギターソロはない?J-POPヒット曲の現状

海外のトレンドとして「ギターソロ離れ」が指摘される一方で、日本の音楽シーン、特にJ-POPのヒット曲に目を向けると、また違った景色が見えてきます。
グラミー賞ロック部門ではギターソロが消えたという事実
前述の通り、近年のグラミー賞ロック部門のノミネート曲からギターソロがほとんど姿を消したことは、欧米のロックシーンにおける一つの大きな変化を示しています。
これは、ロックミュージックの定義そのものが広がり、ギター中心のサウンドだけが評価される時代ではなくなったことの表れです。
実は日本のヒット曲にはギターソロが健在?【具体例を紹介】
しかし、日本のヒットチャートを見ると、状況は異なります。
Saucy Dogの『シンデレラボーイ』やマカロニえんぴつの『なんでもないよ、』、Awesome City Clubの『勿忘』など、近年の大ヒット曲にも印象的なギターソロが含まれています。
また、つばきファクトリーの『アドレナリン・ダメ』のように、歌詞の中でギターソロに言及し、それをフックにしている楽曲も存在します。
日本の音楽市場では、ギターソロは今なお有効な表現手法として機能しているのです。
むしろギターが主役の新しいバンド(Polyphiaなど)も登場
ギターソロ不要論が叫ばれる一方で、その逆を行くように、ギターを前面に押し出したインストゥルメンタル(歌なし)バンドも若者から支持を集めています。
PolyphiaやCHONといったバンドは、超絶的なテクニックと現代的なサウンドを融合させ、新たなギターミュージックのファン層を開拓しています。
これは、音楽の聴き方が多様化した結果、ニッチなジャンルでも熱狂的なファンを獲得できるようになった現代ならではの現象と言えるでしょう。
ギターソロの歴史を解説|誕生から役割の変遷まで

現代で議論の的となっているギターソロですが、その歴史は古く、時代と共にその役割を大きく変えてきました。
【黄金期】ブルースから生まれロックの象徴へ(ジミヘン、ヴァン・ヘイレンの時代)
ギターソロの起源は、ブルースやジャズにおける即興演奏にあります。
それがロックミュージックに取り入れられ、1960年代にジミ・ヘンドリックスが登場したことで、ギターは単なる伴奏楽器から主役へと躍り出ました。
70年代から80年代にかけては、エディ・ヴァン・ヘイレンのようなスタープレイヤーが派手でテクニカルなソロを披露し、ギターソロはロックの象徴として黄金期を迎えました。
【転換期】90年代オルタナティブ革命で「ダサいもの」に?
80年代の行き過ぎたギター文化への反動として、90年代にニルヴァーナを中心とするオルタナティブ・ロックのムーブメントが起こります。
彼らは、テクニックをひけらかすような派手なギターソロを「商業的でダサいもの」と捉え、より感情的でシンプルなアプローチを選びました。
この価値観の転換により、ギターソロの特権的な地位は大きく揺らぐことになります。
【現代】リズム楽器としての役割と新たな表現の模索
オルタナティブ以降、ギターの役割はさらに変化します。
特に2000年代以降のバンドでは、ギターはメロディを奏でるだけでなく、カッティングやミニマルなフレーズでグルーヴを生み出す「リズム楽器」としての側面を強めていきました。
月刊誌『ギター・マガジン』が速弾き特集だけでなくシティ・ポップや歌謡曲の伴奏を特集するようになったことも、現代ギタリストの興味がソロ以外の部分へ向かっていることを象徴しています。
【ギタリストへ】「ギターソロ不要」の時代を生き抜くための3つの道

「ギターソロはいらない」という声は、特にギタリストにとって耳の痛い言葉かもしれません。
しかし、時代の変化は新たなチャンスでもあります。
ここでは、現代のギタリストが生き抜くための3つのアプローチを提案します。
道1:「伴奏」を極める – 音楽全体に貢献するギタリストになる
ギターの仕事の9割は伴奏です。
ギターソロという1割の仕事が減りつつある今、改めて残りの9割である伴奏の技術を磨き、その中で個性を発揮することが重要になります。
コードワーク、カッティング、アルペジオなど、歌や他の楽器を引き立て、楽曲全体を豊かにするプレイは、いつの時代も求められます。
音楽理論を学び、アンサンブルを深く理解することが、現代のギタリストにとって強力な武器となるでしょう。
道2:「スキップされないソロ」を追求する – 必然性のあるフレーズとは
それでもギターソロを弾きたいのであれば、「なぜこの曲にギターソロが必要なのか」を突き詰める必要があります。
ただの間奏埋めやテクニック披露ではなく、楽曲の物語性を補強したり、ボーカルの感情を増幅させたりするような、必然性のあるソロを目指すべきです。
歌うようなメロディアスなフレーズや、聴き手の意表を突くサウンドなど、一度聴いたら忘れられないような工夫が求められます。
道3:SNSを活用しニッチなファンに届ける – 新しい時代のギタリスト像
テレビやラジオといったマスメディアの影響力が相対的に低下した現代では、SNSがギタリストにとって重要な活動の場となります。
YouTubeやInstagram、TikTokなどで自身の演奏動画を発信すれば、たとえニッチなスタイルであっても、世界中のファンに直接アプローチすることが可能です。
バンドに所属せずとも、一人のギタリストとして知名度を上げ、支持を得ることができる新しい時代の到来と言えるでしょう。
「ギターソロいらない」に関するよくある質問(FAQ)
最後に、「ギターソロはいらない」というテーマに関して、多くの人が抱くであろう疑問にQ&A形式でお答えします。
ギターソロをスキップするのはアーティストに失礼ですか?
音楽の楽しみ方は個人の自由であり、スキップすること自体が失礼にあたるわけではありません。
しかし、アーティストが楽曲全体を通して伝えたいメッセージや世界観があることも事実です。
時には、あえてスキップせず、作り手の意図に耳を傾けてみることで、新しい音楽の発見があるかもしれません。
ジェフ・ベックのようなギターヒーローはもう現れないのでしょうか?
ジェフ・ベックやエディ・ヴァン・ヘイレンのような、誰もが知る「ギターヒーロー」が生まれにくくなったのは事実です。
これは、音楽のジャンルが細分化し、メディア環境が変化したためです。
しかし、特定のジャンルやコミュニティにおいては、新しい形のカリスマ的なギタリストが次々と登場しています。
時代が求めるヒーロー像は変わっても、ギターで人々を魅了する存在が消えることはないでしょう。
ギターソロが長い名曲といえば何がありますか?
ギターソロの魅力が存分に味わえる名曲は数多く存在します。
代表的な例としては、レッド・ツェッペリンの『天国への階段』、イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』、ピンク・フロイドの『コンフォタブリー・ナム』などが挙げられます。
これらの楽曲におけるギターソロは、単なる間奏ではなく、曲の物語を語る上で不可欠なパートとなっています。
まとめ:ギターソロはいらない論争の全体像
- ギターソロ不要論はNYタイムズの記事が発端で日本でも議論に
- サブスク時代のタイパ重視の聴き方が背景にある
- 90年代オルタナティブ革命でギターヒーローの価値観が変化
- 日本のヒット曲では今もギターソロは健在である
- 不要論への反論として楽曲の感情的なピークを担うとの意見もある
- ギタリストは伴奏での貢献や必然性のあるソロが求められる
- ギターの役割は時代と共に変化し続けている
- スキップされるかはギターソロの魅力と必然性次第である
- SNSの普及はギタリストに新たな活動の場を提供している
- 音楽の楽しみ方は多様化しており一概に要不要は断定できない